それでは「新聞配達編」からの続きです。
一方で働いているスタッフもこれまでに交流のなかったような人ばかりです。
特に「お金で問題のある人」が多く、一度早朝に折込チラシを準備している際、強面の方々がどかどか入ってきて「〇〇は居るか?」と聞いて回っていたことがありました。
借金取りですね。
当の本人はタイミングよく数日前に夜逃げしているわけですが、こういう時は販売店から借りている配達用のバイクで行けるところまで行くのが定番らしいです(笑)。
そんなことしたら店からも追いかけられて大変だろうと思い店長に聞いたところ、意外にもまったく追いかけないということでした。
追いかけても仕方がないので警察に届けて終わりだそうです。
で、数か月後にバイクだけ隣町で見つかって戻ってくる、みたいな。
そういうわけでなかなかに刺激的な日々が続き、集金や勧誘で怒鳴られることもしばしばありましたが、契約が取れずに彷徨っているときにやさしく声をかけてくれる商店主など、人の温かさが身に染みた街でもありました。
そうこうしているうちに数か月がたち、それなりにお金も貯まります。
今はどうか知らないですが、その頃新聞配達の給料は茶封筒に現金をそのまま入れて 渡されていました。
平均して月給25万円程度だったと記憶しています。
ちょうどカナダの観光も繁忙期に入り、自分のような契約社員にも仕事が入るのでそれに合わせて渡加する、というパターンでその後4年ほどカナダと日本の往復生活をつづけました。
およそ9か月程度カナダ、3か月程度日本で出稼ぎ、というサイクルです。
で、2年目の出稼ぎは何をしたかというと、もう都会はこりごりだと思い、思い切って北海道の大自然にある酪農家に住み込みバイトとして転がり込みました。
これも軽い気持ちで訪ねていきましたがあの鼻を突くような独特な牛舎のにおいを初めて嗅いだ時の驚きが今でも忘れられません。
大変なところに来てしまったのではないかと思わず足が止まったのを覚えています。
結局そこにも3~4か月程度滞在しましたが、持って行った洋服は匂いが取れずすべて捨てる羽目になりました。
そして酪農、というとなんとなくのどかなイメージで広い牧草地で牛を追いかけてみたりするイメージを持っていたのですが、これまたいきなり想像を打ち砕かれます。
まず朝は新聞配達ばりに早く、毎朝と毎夕に150頭の牛の搾乳、その間に牛のエサやりや牛舎の掃除、貯蓄している飼料の管理など肉体労働のオンパレードです。
最初は顔や髪の毛に牛のフンがつくと気にしていましたが慣れると何でもなくなります。
口にさえ入らなければOKです。
そして都会の会社で働いてきた自分の「ひと仕事」と酪農家で生まれ育ってきた方々の「ひと仕事」の感覚の差に驚かされることが多々ありました。
「北の国から」でみた感動の出産シーンにも何度か遭遇しましたが、牛の方も当然時間を選ばないのではっきり言って「とにかく体力がきつい」という感想しかありません。
仕事がない時間は体力回復に努めるわけですが、時々オーナーが息抜きに連れて行ってくれるスナックが唯一の楽しみでした。今でも北の果てのスナックで聞いたママさんの「いい日旅立ち」が忘れられません。
そんなわけで2年目の出稼ぎも無事に終え、またカナダに戻るわけですがその年は9.11が発生し、就労ビザの取得にずいぶん時間がかかったのを覚えています。
最後についで程度に書きますが、3回目の出稼ぎの際は、「もう大自然はこりごり」、と思いまた都会に舞い戻りました。
この年はツテを頼って上野の近くのアパートに住むことができたのでその近隣でバイト探しです。
最初の方で「住み込みのバイトは新聞配達かパチンコか夜のお仕事」と書きましたがこの年は実に不思議なバイトを経験しました。
夜の10時くらいに御徒町のとある雑居ビルの4階の一室に行きます。
そこにはかなり広い部屋があり、学校の教室のように机が並んでいてそれぞれの机にはパソコンが置いてあります。
そして年齢も性別もバラバラな集団がひたすらパソコンに向かってキーボードをたたいています。
時間になると私もその中の1つの席について、前の人の引継ぎメモを見ながらひたすら文字を打ち込む、という仕事をしました。
作業としてはメールの返信を打ちまくっているのですが、その向こうにいるのは全国の男性の方々なわけですね。
そのまま途中30分程度の休憩を数回挟んで朝の5時くらいまでひたすらパソコンに向かうわけですが、世の中には実に様々な種類の仕事があるものです。
そして仕事を終えてビルを出るとちょうど家に帰る途中で朝日が昇るのですが、2年前も朝の新聞配達を終えて多摩川沿いの道路で毎朝缶コーヒーを飲みながら朝日を見たのを思い出していました。
そういえば最近すっかり朝日を見る機会がありません。
そんなわけで会社を辞めてフリーターをやっていた時期のことを書いてみました。
最近は働き方も多様化し、転職なんてごくごく普通のこととなりました。
今後は終身雇用制度の崩壊もますます加速すると言われています。「なりたい職業」にyoutuberがランクインする時代です。
ただ、それでもレールを外れるというのは不安であり恐怖でもあると思います。
私は30歳になる時に社会に「復帰」することができましたが、今でも会社を辞めたときの不安や胃がせりあがってくるような恐怖を容易に思い出すことができます。
日本に滞在している際はほぼ100円ショップで生活していましたし、その日に泊まるところがなくて漫画喫茶やサウナで夜を明かしたこともあります。
それでももし今、会社を辞める前の自分に相談されたとしたらやはり「やってみたらいいんじゃない?」と言うと思います。
ありふれた言葉ですが「人間万事塞翁が馬」という言葉をよく思い出します。
なんとなく結果論的に使われることもある言葉ですが、個人的には自分の前向きな意思でいい結果をつかむ、という風にとらえています。
サラリーマン万時塞翁が馬、ですね。
だからこそ、会社に依存しないでも生きていける知識とスキルを身に着けたいと思いつつ、細々ながら今後も情報を発信していきたいと思います。
おわり
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