会社を辞めてフリーターになった時の話 (新聞配達編)

生活全般/体験談
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20代の頃なので随分昔の話になりますが、今回は会社を辞めてフリーターになった時の話をご紹介します。

それまでは私も人並みにいわゆる「人生のレール」に乗って都内の大学を卒業し、新卒で社員数当時3,000名弱の会社に在籍していましたが、社会人生活3年目に入ったあたりから「どうしても一度海外で生活してみたい」という妄想に取りつかれるようになりました。

仕事が旅行業だったこともあり、当時日本で開催された長野オリンピックの競技会場で、世界各国から集まる選手団に近い場所で仕事をする機会に恵まれたことがきっかけだったかもしれません。

まだまだペイペイの若手社員なのでせいぜい荷物運び程度の仕事でしたが、自分の英語が全く通じないことに驚かされ、と同時にそのような多国籍の現場でも外国人と互角に渡り合う日本人スタッフの姿を見てさらに驚かされました。

振り返ればその経験が海外に強烈に惹かれる原因になったような気がします。

そんなわけで「なんでもいいから海外で働きたい」という妄想に取りつかれ、ついに3年目が終わるころには漠然と海外に行くことだけを決めて退職届を書いていました。

行先に決めたのは当時数回先の冬季オリンピック会場に決まっていたカナダのバンクーバーで、1年目はワーキングホリデーを利用してバンクーバー国際空港に降り立ちました。

それがたしか26歳くらいの時でしょうか。

初めての海外生活に浮かれながらも、時折襲ってくる

「え?こんなところでフリーターやってて自分大丈夫?ワーホリなんて1年しかできないよ?」

というもう一人の自分の声に恐れおののきながらも必死で「何か」を探す毎日でした。

そんなこんなの毎日の中、ようやく某日系の大手旅行代理店の現地スタッフとして採用が決まり、2年目以降の就労ビザを獲得することができました。

そうしてまずは一安心で一旦帰国するものの、実家は東京からはるか遠くの地方都市。

そこまで帰るお金も無く、いずれにしろ帰っても町には「何もない」のでとりあえず次の渡加に備えて東京近郊で仕事を探します。

都内で久しぶりに同期に会って盛り上がり、その日はそのまま泊めてもらうものの、実は住み込みのアルバイトを探しているなんてかっこ悪いので言えません。

2日目の宿を探して街をさまよいつつ漫画喫茶で一晩過ごします。

そのころバイト探しの定番だったフロムAとanを買ってきて必死に読み漁りますが、当時住み込みですぐに仕事を始めようと思ったら、新聞配達かパチンコか夜のお仕事しかありません。

パチンコはもともと好きになれず夜のお仕事は最後の手段だと思い、まずは新聞配達を選びます。

新聞配達ってよく見かけますのでかなり身近な仕事と言えると思いますが、実際に体験したことのある方ってどのくらいいるのでしょうか。

世の中にはきつい仕事がたくさんあると思いますが、新聞配達もなかなかのものです。

一見配達だけしているように見えますが、特に私のような住み込みの場合は「専業」と呼ばれ、配達+集金+勧誘がセットになっていて、これは肉体的にも精神的にも相当きついものでした。

朝早いのは当然として、その後に集金と勧誘があるので実は家に帰るのは夜の8時くらいになったりします。

かき込むようにご飯を食べて、気持ち一杯程度ビールを飲んで、寝たと思ったら3時半には起きなければなりません。

コインランドリーに行く余裕があるのは週に1回なので、雨が続くと籠の中に放り込んでいた濡れた靴下の中からまともそうなのを選んでどうにか履いていくなんてこともざらです。

そして夜も明けないうちにカンカンカンとアパートの錆びついた階段を下りていきます。

それまで私も知らなかったのですが、新聞の配達って束になっている新聞をバイクに積んで配るだけかと思っていたら、まずは自分の配る新聞に折込チラシを自分で入れなければいけないんです。

雨が降っている日は最悪で、それをさらに一部一部機械でビニールに入れる必要があります。

その数だいたい一人300部程度

で、黙々と折込チラシを入れると今度は競うように自分のバイクに積むわけですが、この積み方にもコツがあるんですね。

できるだけたくさん、しかもすぐ取り出しやすいように積むんですが、これが最初のうちはなかなか難しいものです。

慣れないうちはバランスも悪く最初のカーブで転んで夜明けの道路に新聞が扇状にさーっと散っていくシーンを何度か経験しました。

そんなこんなで配達を終えると軽く休憩して昼からは集金と勧誘を同時進行で行います。

購読者の在宅中を狙って訪問し集金を行い、同時に未購読宅のリストをもとに勧誘のため担当エリアを常に徘徊します。

勧誘にはいくつかのパターンがあるんですが、主なものは「泣き勧」と「喝勧」です。それぞれ読んで字のごとし、ですが私は洗剤などの景品を駆使して最後は泣き勧でした。

人によっては「次はどんな人が来るかわかりませんよ」とか「このエリアの付き合い料だと思って」とかかなり危ない決めゼリフを使う人がいたようです。

というか完全アウトですよね。

そして集金もこれがまた一苦労です。

毎月最後の一人まで集金をこなすのは至難の業で、はっきり言って自動振り込みのお客様は 神様です。

それにしても世の中にはほんとうにいろいろな人がいるものです。

それまではわりとまっとうな生活をしてきたと思っていましたが、一つの街を隅から隅まで回ると実に刺激的な方々に会います。

配達した新聞は消えているけどいつ行っても絶対に捉まえられない人や、明らかに在宅しているのに絶対に出てこない人、出てきてもなんだかんだで払わない人(だったら新聞辞めればいいのに)、なぜか毎回怒る人(だったら新聞辞めればいいのに)などなど。

大学までの勉強や会社という枠組みとはかけ離れた世界がすぐ近いところにあり、その意味では一番の社会勉強になったかもしれません。

酪農と夜のお仕事編」に続く

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